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色々調べていると見えてくること

February 10, 2009

去年から色々話題になっていたことを調べたり学んだりしているうち、なんとなく分かってきたのが、例えば、恐れを抱かせたり、有名投資家が言うから未来はそうなるんだろうから自分もそっちへ行こうとか言うのは、彼らの発言でうまく集団マス心理をそちらへ向かわせ(その時はまだそういう流れにはなっていない)、それでもって、その集団マス心理を利用して、彼らが当初言っていたことをうまく実現させる糧にする、という風な流れなのかな?と思いました。よくわかりませんが。もしそういうことなのであれば、いかに人々の集団心理が、何かの事を実際に起こすのに大切なのかが良くわかります。と言うことは、こういう時だからこそ、皆が心を冷静にし、分散心理で居れば、落ち着いていられるということでしょうか?情報をうまくフィルターにかけて、どの情報が正しいのか否かを見極めるのがなかなか難しいですが、それでも、そのことを調べたり、学んだりしているうちに、だんだん見えてくるものがあると思います。これからもっと気をつけなくちゃと思います。

空の色が青かったり赤かったりするのは

February 4, 2009

宇宙は暗いです。色で言えば黒色です。黒色は光を吸収するので色がありません。私達が地上で見ることができる様々な色は、太陽の光があるからです。太陽の光は連続した赤・橙・黄・緑・緑・青・藍・紫の異なる波長=色のスペクトラムから成っています。太陽の光にプリズムを通すと、綺麗な虹色を見ることができるのはこの為です。

空の色が青く見えるのは、大気の中の細かい粒子が、太陽の光にあたって、太陽のスペクトラムの中の青色の波長を多く跳ね返すからです。だから何も空が青いわけでも、大気の中の細かい粒子が青いわけでもなく、青色の波長が私達の目に届き、その波長を私の脳は青色と判断しているからそれが青く見えるという具合なんだそうです。

今目の前で見ている物がありますが、例えば、緑色の紙があるとして、私は緑色をした紙を見ているのですが、実は、その紙自体が緑色というわけではなくて、光によって跳ね返された波長の色調を私の目を通して脳が緑と判断しているということになります。しかも、この波長を緑という名で呼びましょうと決めたのは人間で、日本語であれば緑、英語であればGreenです。

なので、緑色に印刷しているのは緑色のインクですが、それは光のスペクトルの中で私達の脳が緑と判断する波長の色を主に反射する分子?が紙に塗られている、ということになります。もちろん、暗闇に持っていけば、光は差し込まないので、どの色の紙でも黒く見えます。

最近、「火星は生きている!」というニュースを読みました。大量のメタンを検出したらしいです。こういうことが分かるのも、粒子が跳ね返す光の波長=色で、その色が跳ね返す波長の物質はメタンであるとか、窒素であるとかがわかるからです。いや~凄いな~と感慨深く思ってしまいました。

世の中って面白い。

時代の変革期

February 4, 2009

今大きな会社がボコボコ倒れていっているようです。これは、昔の恐竜が絶滅していった時代に似ているのかもと思ったりします。地球上が温かく豊かだった頃、恐竜が繁殖しましたが、これまでの戦後、特にここ30年に渡っては、USドルを基軸通貨とすることで、アメリカが借金でもって世界中から色んなものを輸入し、それによって世界中の多くの国はアメリカに物を売ることで繁盛していました。アメリカも機軸通貨でUSドルの価値を保つことで、多額の借金をしながらも破産することはありませんでした。

が、地球のしくみと同じでプレートは動いており、これのエネルギーの歪が溜まると反発し、地震が起こったりします。今の経済の動きもその結果が起こっているように思えます。つまり、歪みがあってどうにもならなくて地震が起こるしくみです。

太古、寒冷化によって食料が不足し、巨大な恐竜は生き残ることが出来ませんでした。でも、小さな生き物はなんとか生き残ることができたようです。巨大になりすぎた体は、何かの異変が起こるとそれに細やかに対応することができず、自然淘汰されていきます。今の巨大企業もそういう兆候があるのではと思わされます。

これまでグローバルウォーミングと言われ、それは車や工場が排出する二酸化炭素が原因だ、という論と、そうではなくて、太陽の影響によるものだという論がありました。2年くらい前には、カナダでもラジオでよく討論が行われていましたが、今はまったく聞きません。どうやら太陽がこれまでの温暖化に大きな影響を与えていたようで(でも、それに影響したのは人間の共存しない行い故なのかも・・)、これからは寒冷化に向かっていくようです。これは海の動きにも影響されているようですが、というのも、温暖化によって両極の氷が溶け出し、極に近い海にかなりの量の淡水が流れ出ることで海の循環がままならないことになり、極に近いところでは寒冷化が進むようです。寒冷化のみならず、世界中で旱魃や洪水なども起こりやすくなります。これは食料不足が発生する要因となります。まさに巨大恐竜が絶滅したのと同じような状況下に今あるような感じがします。そういうこともあり、これからは小さく小回りの効く個人の時代が来始めているように感じます。

何でも巨大になりすぎるのには限界があります。都会のビルにしてもそうです。今の時代、食べ物は殆どグローサリーストアで購入します。どちらかのどなたかが作ってくれた野菜が運ばれて、それを購入することで私達がその野菜を食べることができます。こういうシステムがある限りは、小さな面積に巨大なビルを幾重にも建てて、そこに人がいくらでも入ることができます。でも、人はエネルギーを消費しますので食べ物が必要です。こういうシステムが何かの原因で途絶えた場合、この巨大ビルで食べ物なしに人は生きることができません。人が活動するには食べ物が必要です。単純に考えても、サステイナブルな生活を送ろうとした時、一人の人が暮らす土地の面積と、その人が消費するであろう食べ物を収穫する面積が共に必要です。そういう風に考えると、高層ビルのその土地における、非サステイナブルな様相が伺えます。

こういう点から見ても、これからは一極集中巨大型ではなくて、分散極小化で臨機応変に、自分らしく、実直に生きていく時代なのかなと思いました。

Firefox3が重い

February 1, 2009

つい先日までFirefox2とFirefox3を共存させて、主にはFirefox2を使い、Firefox3は閲覧のチェックだけに使用していたのですが、Firefox2でサイトを見ていた際、たまたま出てきたFirefox3にアップグレードしますかウィンドウが出てきて、別の動作をしていたところ調度それが一緒くたになってしまったようで、不本意ながらダウンロードしてしまっていました・・。

と言うことで、Firefox3がダウンロードされ、なんだかごちゃごちゃになってしまったので、Firefox2をアンインストールし、Firefox3を入れなおし、BookmarkもFirefox3に入れ、ここ数日はFirefox3で閲覧していたのですが、途中で思いがけなく止まってしまったり(ブラウザが勝手に何かをダウンロードしているのか?何かをチェックしているのか?システムがこの間妙に動作しており、CPUの使用率が30%にも達しています)、Bookmarkを開くのが遅かったりと、なんだか重いのです。

Firefox2と並存していた時は、Firefox3にBookmarkを入れていなかったせいか?、サクサクでした。しかし、膨大に膨れ上がってしまったBookmarkを入れた途端・・重い。

あと、Firefox2の頃は文字だけを拡大でしたが、Firefox3になってからは、IE7のように画面ごと拡大されてしまうのも、近眼で文字を超拡大して読んでいる私にとっては非常に使いづらいです。と言うのも、画面全体が大きくなっていくので、文字を超拡大していると、文字幅も広くなってしまい、横スクロールを出してしまうから逆に読みにくくなってしまうのです。(どこまで拡大しているの?と言う感じですが・・。)Firefox2の分だと、サイトの横幅はそのままで、文字だけを拡大できたので、どんなに拡大しても、横スクロールが出てくることはなく、良かったのですが。まぁでも私のような使い方をしている人は少数派だと思いますが。。

ということで、Firefox2をメインに戻そうと思います。

年が明けて

January 5, 2009

新しい年が始まりました。あけましておめでとうございます。まだまだ雪が降っているバンクーバーです。こんなに雪が毎日降ると、だんだん慣れてきて、また雪?!緑が恋しい・・!なんて思ってしまう自分がいます。2008年はあっと言う間に始まり、あっと言う間に終わってしまいました。そして、2009年。私とハニャはクリスマス前モールを歩いていた時に、風邪だかインフルエンザだか良くわからないウィルスを貰ってしまったようで、初めハニャが、次に私が攻撃にあい、看病しあいながら年末年始寝てました。悪いものを体から排除し、新しい年の今はすっかり元気になりました。

毎年、毎年、その年年に私なりに学ぶことがあって、それが自分が実行していることと学ぶことがうまく繋がりあって色々感化され、それが先に伸びていくようで自分が行くべき方向が見えてくるような感じになります。その方向に向かって、ある意味では導かれて?、見える?それとも目指したいその先に向かって今年もマイペースながら頑張っていきたいと思います。

毎朝目が覚めて静かな朝に起きることができて感謝。
毎晩目を閉じて静かな夜に眠ることができて感謝。

人はひとりでは生きていけない、であるとか、生かされている、とかいう言葉はよく聞く言葉ですが、昔昔から生きてきた人たちが私達に残してくれた言葉には多くの知恵がたくさんあるなと思うことが多いです。マクロなところで言えば、もしも地球が太陽からの距離がもうちょっと近かったり、遠かったり、太陽の燃え方がそれこそもっとボウボウとしていて、調度よい頃合がなかったら、やっぱり生物が生まれる環境は出来なかっただろうし、今自分が生きていけるのは、もちろん住む所があったり、食べ物があったり、水があったり、電気があったり、これらも全てどこかの誰かに頼って生きているわけで、またご先祖さまが居たからであって、それだけで、ひとりでは生きていない、色々なものに生かされていると思います。

日本語は面白いな~と思います。この、「色々」という言葉。色には多くの色があります。だから1つ1つ違うものを色々って言うようになったのだと思うのですが(予想・・)。十人十色という言葉もこの「色」をうまく使ってひとりひとりの考え方や好みなどが違うことをうまく言い表しているなと思います。色自体、それぞれ見ている人の視力や脳での判断のされ方で色の識別が違ってきます。だから、私が見ている色と他の人が見ている色は違っていて、それだけで色々。十人の人が見る同じ色も十人なりに違う色の感じ方となる。これはPCで見ているスクリーン上の色となると更に色々になってしまう。デジカメで撮った風景の色は、既にカメラに撮られた瞬間にカメラ設定の色となってしまい、私が裸眼で見た色とは違っています。更にそれをPCに取り込んだ場合、各々が持つパソコンのブランドによって、また、セッティングの仕方によって、見る色が全く別物になってしまう。それをまた印刷した場合、印刷機のブランドや設定によってまた更に出力色が異なってくる。色々ありすぎて自分が求める色が必ずしも相手側にも同じように見えているとは限らない。色はやっぱり難しい。これは色だけの話に留まらない?

こういう風に考えていると、全てのものはそれが色であったり言葉であったりしてもなんだか色々繋がっていて、切磋琢磨しながら、それはマクロな宇宙の仕組みでも、ミクロな個人生活でも、うまいこと調和しながらそれぞれに感化しながら繋がり伸びていってるんだろうかな~と思ったりします。でも、どこへ?う~ん、わかりません・・。私は自分がわかるなりのところで自分なりに進んでいきたいと思います。