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ポーランド、ドイツ、おまけのオランダ(アムステルダム)旅行記 その1 - ヨーロッパの印象など

June 9, 2008

土曜日に無事に欧州から戻ってきました。5月27日の火曜日に出発して、本当は6月6日の金曜日に戻ってくるはずだったのですが、ひょんなことから6月7日の土曜日に戻ってきました。かなり久しぶりな旅だったのと、12日間も旅をしたのはおよそ初めてで、普段歩き回ることの無い運動不足な生活の私は最後のあたり足が辛かったのですが、ポーランドでは夫の家族や友人にとても良くして頂いて、思い出のたくさん詰まった旅にすることが出来ました。家族、友人の方には言葉の通じない異人種な私にも温かく接してもらい、心温まる思いでした。

ポーランドやドイツに滞在中は連日晴れ間が広がり、日中は29度など暑い日が続いて天気の良い夏模様でしたが、バンクーバーに戻ってくると6月なのにまだ冬の長雨が続いているような天気で、お陰で新緑がとても美しいのですが・・10度は寒い・・。消して外出していたヒーターを再び付けることにしました。

さて今回ヨーロッパ、という土地に初めて訪れた私ですが、実は夫と一緒になるまであまり欧州に興味を持ったことがなく、人から聞いたり、雑誌で見たり、ネット上での他の人の旅行記などを読んだり、歴史的な出来事を活字で読むくらいで、一体どんなところなのか全く想像できなかったのですが、実際に自分で見て、聞いて、体験する、と言うのは、やはり違うもので、そこの土地や風土がもたらす歴史や文化、人を身をもって感じることが出来ました。

ポーランドの第一印象ですが、夫やポーランド人の知り合いから昔の共産圏(既におよそ20年前に遡りますが)というイメージ、例えば、買い物の時などフレンドリーではないとか、そっけないなど、を聞かされていたのですが、実際体験して私が感じたことは、それとは180度異なっていて(一世代分の年数が既に過ぎているからなのか?)、ヴロツワフ(Wrocław)というポーランドで4番目に大きな都市に行ったのですがそんな都市でも、田舎の町でも、なんというか、北米で見かけるような作った感じのない、自然で素朴、素直なフレンドリーさと親切な人が多い印象を受けました。あと、とてもSpontaneousでFlexable、アクティブな人が多い印象を持ちました。

また、経済的には市場がOPENになり、EUなどからの投資資金が流入してきていることもあってか、街のディベロップメントが昔の建物の良さを残しつつ、モダンなアーキテクトが融合し開発されていたりと、街の中を歩いているだけでもその活気を感じることができました。街の広場にある中世の雰囲気を醸し出す建物の間に、共産主義時代に建てられた殺風景なコンクリートのアパートなどがあったりするのですが、これらを残すべきか、それとも、新しいもっと街に沿ったデザインを施すべきかなど、様々なことがディスカッションされているようです。

あと、女性はとても女性的で清楚な感じ&ファッショナブルで、10代、20代の若い女性はスレンダーで美人が多く、男性は好青年で誠実そうな美男が多かったです。女性は女性的で男性は男性的という感じ?ドイツにも行きましたが、ドイツの女性のファッションはカナダのような感じでカジュアルでスポーティーな装い&シンプルな服装(色も)をしている人が多いように感じました。対照的に、また、思っていたのとは違ってポーランド人女性はスカートやワンピース&パンプを身に着けている女性が多く、柄物の装いで色とりどりでカラフル、バッグもカラフルでファッショナブルという感じでした。ポーランド人が手がけるアートであるとか、ポスターデザインなどを見ていると暗い色使いやダークなイメージが多かったので、ある意味この明るい雰囲気には予想外の驚きを感じました。

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ポーランド・ヴロツワフ(Wrocław)にて。

ファッショナブルといえば、ポーランドのデパートのショップで売られている服や靴などは素敵なデザインのものが多くて驚きました。カナダには無いような可愛いデザインの服や靴、バッグなどのセレクションが多くあり、比較的安い価格で販売されていていいなぁと思いました。同じようなデザインのものをカナダで買おうものなら2倍3倍・・もしくは10倍くらい支払うこともあるかも・・。バンクーバーは雨が多い気候というのもあるのか?可愛い服や靴などのチョイスは限られて、価格的に高いように思えます。お金を出せばあるのでしょうが、あらゆるものにおいて、これでこの値段ですか?!ということが結構あったりします。日本だったらこれくらいの物であればいくらぐらいの値段でありそうなのに、等と思うことしばしば。品物にもよるかもしれませんが、でも大体同じような(もしくはそれ以下の)クオリティーのものが2倍もしくはそれ以上に高いような気が・・。(しつこい?!)ポーランドには可愛くてカナダに比べ安価で品質の良い靴のセレクションが沢山あり、二人共々2足づつ、履き心地の良い靴を購入して帰ってきました。

しかし、食料品、特にお肉関連は(為替換算をして)カナダと同じくらいの値段で、他のものと比べて高いと思いました。あと、販売されているところが街角の野菜売り場とかそういうところでだとローカルのフレッシュな野菜が安い価格で買えるようですが、都市部の中心地マーケットなどの場所では場所が場所なだけにか、為替換算してカナダで購入するよりも高い価格だったのでこれには驚きました。例えば、今ポーランドズウォテは49円あたりですが、都市部のマーケットで売られているレタス一玉は4.5ズウォテもします。日本円に換算すると220円。カナダでだと150円くらいです。。日本でだと去年野菜の価格が高かったそうで、298円くらいした時期もあったようですが。。それでも高い!

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ポーランド・ヴロツワフ(Wrocław)のマーケットにて。

また、ガソリン代の高いこと・・。カナダドルに換算して2ドル以上/litの計算でした。ポーランドは2004年にEUに加盟しましたが、まだ自国の通貨(ズウォテ)を保っていて、ユーロに転換していないのですが、平均所得が主なEU諸国(例えばお隣のドイツなど)と比べてまだ低い割りに、ガソリン代はドイツなどと同じレベルで高いという・・。ちなみに今バンクーバーでは1.42ドル前後/litです。

ポーランドにしてもドイツにしても、地形は山の多いバンクーバーや日本とは異なり、また、都市が密集していないため、市街から少し離れれば各地で平原に丘と森が広がっています。穀物に適した土地らしく、見渡す限りの平原にライ麦、大麦、小麦やジャガイモなどが豊かに広がっていました。その合間ところどころで、特にドイツ側で、風力発電の風車を多く見かけました。

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ドイツ側にて、麦畑と風力発電の風車。DB(ドイツバーン-ドイツ鉄道)の車窓より。

どちらも緑豊かな土地でしたが、特にポーランドサイドでは小鳥のさえずりが途切れることなく各所で聞こえてきました。本当に至る所で小鳥のさえずりが聞こえてきて、ポーランドは木々と小鳥の楽園のようにも思えました。街にも多くの木々が植えられており、そこに鳥達が集まります。木陰を歩きながら、石畳の上を走る車の独特な音が奏でる喧騒の中にも鳥のさえずりが聞こえてきます。ポーランドの街頭で小鳥の置物を売っているところを多く見たり、鳥をモチーフにしたポスターデザインなどを多く見かけるのは、このためなんだろうかと思いました。ちなみにポーランドの紋章は赤色の背景に白鷹のデザイン、ドイツの紋章は、白色もしくはゴールドの背景に黒鷹のようです。

平原の広がる、そんな平和な風土であったが故か、戦中は東はロシア、西はドイツから容易に攻勢を受けることになった本来は中欧のポーランドですが、攻防できるような険しい山々がほんとにないのですね。平ら。次の駅のランプが裸眼で見えるというくらい平らでした。日本ならば四方を海に囲まれているし山も多いので、それこそ昔であれば、外からの来襲に対抗できる風土がありますが。ポーランドはそういう地形な為、ソ連、ドイツの両隣から攻め入れられ、戦前でこそ連合軍側と共に国土を守り戦い、戦後は亡命政府がロンドンに設けられていましたが、ソ連の影響下によって対抗する将校たちが殺害され、本来は中欧という位置づけであったポーランドが東欧という区分けに入れられ共産主義の体制下に置かれることになったという、なんとも理不尽な戦後の結果になってしまいました。日本やドイツとは逆のパターンですかね。。
”ポーランド侵攻”に関する詳細はWikiにて。

ドイツですが、戦後、国がアメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦の4カ国に分割占領されました。首都ベルリンはソ連の占領下にあった右上側の占領エリアに属していましたが、ベルリンだけ上記4カ国の共同統治とし、ベルリンの東側をソ連、そして西側をその他3国のアメリカ、イギリス、フランスに分けられました。いくら共同統治としても、社会主義と資本主義に違いがあるわけなので、やがて東側のベルリン=ソ連の影響VS西側のベルリンというように対立していったみたいです。国自体も西側(資本主義)と東側(社会主義)に分かれ、しかも東側にあった首都ベルリンの西側は資本主義が東側は社会主義が、という具合に分けられ散々なことになっていた模様です・・。

当初ベルリンの壁というものは無かったようですが、自由のある西側に逃げていく東側のベルリン人が後を絶たなくなってしまって、労働者不足に陥る問題を解決(・・これは表面上の理由?)するために、東側による壁作りが始められたとのこと。結局1989年にベルリンの壁崩壊に至ったわけですが、大元のきっかけはソ連を筆頭とした共産主義勢力の経済力低下のようで、そのお陰で(?)ポーランドやハンガリーなどによる民主化運動が強くなり、こういった動きもベルリンの壁崩壊に影響を与えたようです。Wikiによると、1989年6月にポーランドで自由選挙が行われ(これは80年代初頭からのソリダリティームーブメント=独立自主管理労働組合「連帯」による結果)、他の東欧諸国に先んじて民主化を果たしたことと、また、同年8月には、ハンガリーによって通称”ヨーロッパ・ピクニック”なる事件が起きたことがきっかけとなったようです。ヨーロッパ・ピクニックなどという名前が付けられているようですが、要は8月以前から元々社会主義国であったハンガリーでも自由化の動きが強まっていて、5月にハンガリーとオーストリア(西側)国境の間にあった鉄条網を撤去したそうで、これをもって、ハンガリー経由で西側ドイツに行くことができることを発見した東ドイツの人たちはこれに殺到し、西側ドイツに亡命を求める1000人程の東ドイツ市民がハンガリー・オーストリア国境を越え亡命を果たした、ということだったようです。

これを受けて東側ドイツはギブアップという形?西側への旅行の自由化にOKということで、結果ベルリンの壁が重機などで壊されたというわけです。Wikiによると


ベルリンの壁崩壊(ベルリンのかべほうかい)は、1989年11月9日に突如として東ドイツ政府が、東ドイツ市民に対して旅行の自由化(実際には旅行許可書発行の大幅な規制緩和)を発表した事によって、実質的に意味を持たなくなったベルリンの壁が、東西通行の自由に歓喜した東西ベルリン市民(東ベルリンと西ベルリン)によって、ハンマー、建設機械その他によって粉砕された事件。

今回の旅でアムステルダム経由でベルリンのテーゲル(TAGEL)空港に飛び、そこからDB(ドイツバーン=ドイツ鉄道?)にてゲルリッツという街に移動したのですが、ベルリンのテーゲル(TAGEL)空港から高速バス(TXLライン)に乗り市内を移動してベルリン中央駅(Berlin Hauptbahnhof)に行ったのですが(一人2.5ユーロ、所要時間は15分くらい)、バスから見る夕方の日が暮れかけた頃の景色の中見た市内の建物の壁の至るところには、GRAFFITIが沢山ありました。今は殆どなくなってしまったベルリンの壁も沢山のGRAFFITIで埋め尽くされていたようですが、そういう一面が今は殆ど残っていないベルリンの壁の歴史を思わせるものがあると思いました。それにしても、こんな所にどうやって?という所にまでGRAFFITIが。(・・)

また、日本は戦後、ドイツと同じ敗戦国となったわけですがドイツのように分割されずに済みました。理由は色々あるようですが、天皇陛下が居たから等あるようです。もしも当時分割されていたら・・という図がありましたので、リンクを。これによると、北海道と東北はソ連に、東京はアメリカ、イギリス、ソ連、台湾(?)に、大阪はアメリカと台湾(?)に、本州のその他の県で兵庫以東はアメリカに、九州と本州の岡山以西はイギリスに、そして、四国は台湾(?)に、という具合になっています。分割されなくて良かった。。もし分割されていたら当然今ほどの経済レベルには達していなかったでしょうし、どんな風になっていたか・・。それを考えると、ドイツは分割されしばらくの間東西ドイツに分断されていたなかで、統一後の今の経済レベル復興を考えるとものすごい復活力だなと思います。

ドイツの首都にあるベルリン中央駅(Berlin Hauptbahnhof)ですがとても近代的でモダンなデザインの建築物で、その大きさにもびっくりしたのですが、デザインは素晴らしく美しいのですが、標識もあるのはあるのですが・・私だけなのかなぁ・・何とも分かりにくいのですよねぇ、、トイレの場所が。。トイレ(WC)の標識を辿って右に左に行ったり来たり。でも、トイレらしきものの戸口は全く見あたらないんです。しょうがないので、ドイツ人女性に英語で「Wash roomはどこですか?」と聞いても通じないし・・。「Wash Room?」とだけ言っても分からない様子。。じゃぁ「トイレット?」と聞くと、ようやく分かってもらえて、同階のレベルではなく、1つ下の階にあるとの事を教えてもらえました。標識ではとても階下にトイレがあるような感じのデザインにはとても判別し難いよなぁ・・などと思いつつ、階下に行くと、トイレらしくない透明なガラスの入り口(JRの緑の窓口に入るような感じ?)で自動ドアが出迎えてくれ、男性も女性も同じところに入って行く。そして、例のごとくトイレチップが必要で、財布を夫に預けていた私は再び来た道を延々と戻ることに・・。

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ベルリン中央駅(Berlin Hauptbahnhof)の外観。

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ベルリン中央駅(Berlin Hauptbahnhof)の内部。Welcome to Berlin, BOMBARDIER(カナダケベック州モントリオールの企業)の文字が。

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ベルリン中央駅(Berlin Hauptbahnhof)の内部にて。電車が去るところ。

ドイツの標識デザインは(私には)意味が分かりにくい・・し、デザインはモダンでシンプルで素敵だけど、シンプルすぎて初心者(の私)には感覚的に分からない・・と思いました。例えば、モダンな感じで穴がポツポツ開いているデザインの壁にドアがあると言います。どこ?!どこにドアが・・?全くもって分からないので連れて行ってもらうと、自分が今来たところの壁からシンプルなシルバーのドアノブがスラっと突き出ているのでした。これだけ?!これがドア?!まぁ確かにドア・・なんですが。。ほんとにすごくシンプルなデザイン。でも、機能がデザインに融合されすぎて、初心者にはほんとに分かりません。もっとレベルを下げてもらわないと。。なんだか、Webサイトで言えば、シンプルなFLASHサイトでクリックをしても目的地になかなか辿り着けないような状態に似ているかも・・、と思ってしまいました。

さて、そんな緑豊かな木々に囲まれた平原と森、小鳥のさえずりに恵まれたポーランド(ドイツも)ですが、タバコの喫煙には参りました。ヨーロッパはタバコの喫煙率が高いと聞いていましたが、ここまでスゴイとは思いませんでした。公共の施設などではもちろん禁煙ですが、街の至るところで、家の中で、歩いている最中で、ほんとに多くの人がスパスパとタバコを吸っているのですよね。。私はタバコを吸わないので、あのタバコの匂いがとても苦痛で、しかし逃げ場が無く、とても辛かったです。あと、ポーランドの街はそれほどタバコのポイ捨てゴミには気づきませんでしたが、アムステルダムにはタバコのポイ捨てが沢山あり、これはまた後で話すことになりますが、夜の街頭路上はタバコ等のゴミばかりで汚かったです。

タバコ、という点で比べると、バンクーバー国際空港に着いて、空気が新鮮!タバコの匂いがしない!そういう意味では、カナダ(BC州)は雨が多いのが憂鬱ですが・・なんて天国なんだと思いました。実はBC州では、最近2008年3月31日から新しい法律が導入されて

※smoke in most fully or substantially enclosed public places and workplaces.
※smoke within 3 metres of most public and workplace doorways and by open windows and air intakes.
※display tobacco products anywhere where tobacco is sold if accessible to youth under 19.
※Advertise and promote tobacco using certain methods such as countertop displays, hanging advertisements and self-serve displays.
※sell tobacco in public hospitals and health facilities; public universities and colleges; public athletic and recreational facilities; and provincial buildings.

ということになりました。
以下、日本語版をHISカナダサイトより

※公共施設及び職場での全面的な屋内禁煙  (但し、先住民族による儀式的な使用は免除)
※建物の出入り口、開放中の窓及び空気口から3メートル以内での喫煙禁止 (バンクーバーでは6メートル以内が禁煙)
※医療及び大学内、コミュニティセンター等、公共施設内でのタバコの販売禁止
※19歳未満が入手しやすい場所でのタバコの全面的な陳列禁止
※タバコの室内広告、屋外看板の禁止
※レストラン、カフェなど屋外のパティオでの喫煙禁止 (2000年1月1日より既にカフェ、レストラン、カジノ、ビリヤード場、ボーリング場、ビンゴ場など公共の施設の屋内は禁煙化されております。)
※禁煙法に違反した場合、罰金C$100から最大C$2000の罰金が課せられます。

この新しい法令のお陰で、今住んでいるところでも部屋の窓を開けてタバコの煙や匂いを吸うことは殆どなくなりました。市街でも、法律導入前はレストランのパティオ等、これまでは喫煙者専用のごとくになっていた感もありましたが、喫煙しない人でも食事ができるようになりました。ヨーロッパ、喫煙がなければ文化も豊かでアートやファッションなど良いものが沢山あり、EU圏内はボーダーなしで行き来出来て、とても住みやすいところだと思うのですが、このタバコが由で私がヨーロッパで暮らすのは到底無理だなと思いました。。

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ポーランド・ヴロツワフ(Wrocław)にあるAcademy of Fine Art大学内の階段にあったタバコの吸殻。基本的に構内でタバコは禁止されているのでは?と思うのですが緩いんでしょうねきっと。タバコの匂いが至るところでしていました。

あと、気づいたのですが、ヨーロッパではお店のキャッシャーは椅子に座ったまま精算をするのですね。これはポーランドだけでなく、ドイツでもそうでした。他の国でだとイタリアのローマなどでも同じみたいですね。それと、トイレチップ。ドイツでもポーランドでも、トイレの出入り口のところにおばさんが居て、数セント(ユーロ/ズワテ-ポーランド通貨)を支払いました。

ちょっと長くなってしまって力尽きたので、また別のエントリーにしたいと思います。。

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