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カナダ20ドル紙幣

November 5, 2004

先日、銀行から引き落とした現金の中に、新しい20ドル紙幣があった。 新しい20ドル札がいつリリースされたのか知らなかったので、ちょっと嬉しい驚きだった。 色も鮮やかになり、以前よりも細かい模様が施されている。そして、今も昔も20ドル紙幣には エリザベス2世の肖像が描かれている。そう、カナダの元首はエリザベス2世なのだ。

上が新しい20ドル札。下が昔の20ドル札。エリザベス2世もお歳を取られましたね。。。
新しい20ドル札
昔の20ドル札

私が初めてカナダに来た時、カナダと言う国について何も知ること無く、 ただ学校に通い新たなスキルを身に付けることだけを念頭にやってきた。 当時、ダウンタウンにあったカナダ人ファミリーのお宅にホームステイをしていた。 ある時、ママのアラーナは、彼らの理由により引越しをしなければならないことを私に告げた。 私は急遽引越しをする事になった。ある時、アラーナと外出する時があり、遠くへ引っ越す彼女は、 7月1日がカナダ・デイで、その日はダウンタウンにあるイングリッシュ・ベイで世界各国からの 花火が盛大にあるから見に行くと良いよ、と教えてくれた。そこで、彼女とカナダ・デイとは何? と言う話になり、カナダの歴史を簡単に教えてもらった。

その話によると、カナダがイギリスから独立したのが今(2004年)からつい137年前 (1867年7月1日)で、この独立をカナダ・デイと言い、国の祝日になっているとの事。 更に、今のカナダが、”カナダ”と言う国名になったのは1951年、今から(2004年当時)から53年前 だと言うのにはちょっとビックリした。それまでは、自治領カナダ連邦だったそうだ。 アメリカがイギリスから独立したのが1776年7月4日、今から(2004年)228年前。 私がアメリカに1年間交換留学で行っていた頃(1995年当時)、確か220年祭が あっていたような気がする。若い若いと思っていたアメリカという国。 それ以上に若い国のカナダ。そしてカナダは今もイギリス連邦に加盟しており、 その元首は女王エリザベス2世で、公用語は英語とフランス語なのだ。

もともと、2万年前、最後の氷河期時代にシベリアから渡ってきたアジア人が 北米に住みついたのがカナダの土地での人類の生活の始まり。その後、今から約1000年前、 原住民となった彼らはオンタリオの南の方に定住し、農耕生活をし始めた。 その頃、スカンジナビアから来たバイキングで、白人のLeif Ericssonがヨーロッパから初めて カナダにやってきたけれど、原住民たちとの争いや寒さなどで永住をあきらめ ヨーロッパに戻っていったそうだ。

その後1497、98年にイタリアのジェノア出身のGiovanni Caboto(英語名John Cabot)が 英国から特命を受けニューファンドランドに上陸。遅れて1534年、フランス国王の命令により Jacques Cartierがニューファンドランド、プリンスエドワード島、ニューブランズウィックの沿岸を探検する。 彼はGaspé半島に上陸し、ここをフランスの土地であると決めた。1535年、フランス人のCartierが セントローレンス川を上っていき、Stadacona(現モントリオール市)とHochelaga(現ケベック市)まで 行った。原住民(イロコイ族)の言葉で「村・集落」を意味するkanataから、そのあたりをCANADAと 自分の地図に記したのだった。(Canadaと言う国の名はこのKanataから由来している説が強いそうだ。) その後も、1583年Humphrey Gilbertがニューファンドランドを訪れ、そこをイギリスが所有すると宣言し、 1604年には、フランス人のPierre Du Gua de MontsとSamuel de Champlainがノバスコシアに植民地を 作った。1608年、Samuel de Champlainがケベックにフランス植民地を建設し、ここは後に ニューフランス(ヌーベルフランス)と呼ばれる。
(更なる歴史の続きは以下のURLからどうぞ。
http://www.fujiwaragakuen.com/index.html

このような感じで、カナダの土地はイギリスVSフランスと言う構造で両方の勢力が増していき、 17世紀に入り、やがて本国である英国とフランスの間で抗争が激化、経済活動が盛んだった 北アメリカでも不可避的に影響を受け、抗争の焦点となっていったのだった。 1756年~1763年まで7年戦争がイギリスとフランス間で勃発し、始め優勢だったフランスも次第に イギリス軍に押されて、1763年ニューフランスを明け渡した。その後ニューフランスは イギリスの植民地となり、ケベックと呼ばれるようになった。

英国統治下に入った6万5,000人のフランス系住民は、自分たちの伝統、言語、文化を守るという 一致した目的を持つことになり、その後、英国は、ケベック法(1774年)を制定し、フランス民法の適用 と宗教・言語の自由を公認した。このようないきさつで現在でも、カナダは英語とフランス語を 公用語として使用しているのだ。

同じ頃、7年戦争(1756~1763年)により、イギリスは多額の負債を負う事となり、 その負債に当てる資金調達の為、植民地であった現在のアメリカ合衆国で、 砂糖法、貨幣法、印紙法、その他条例を課し、植民地の人々の反感をかうようになったのだった。 そしてボストン茶会事件の勃発により、更に植民地とイギリス本国との対立が激化した。 その後、ついに独立戦争(1775-1783)が勃発し、1776年7月4日に再びPhiladelphiaに集まった 植民地代表者は、Thomas Jefferson(1743-1826)らを起草者として独立宣言 (Declaration of Independence)を公布したのだった。1781年10月19日にVirginiaのYorktownで 大陸軍は決定的な勝利をおさめ、ついにイギリス軍は降伏した。2年後の1783年に 平和条約(パリ条約)が締結され、アメリカ合衆国が誕生したのだった。

1776年に独立宣言が公布され、アメリカ合衆国が誕生した後、アメリカでいわゆるロイヤリスト (王党派)と呼ばれる、英国王に忠誠を誓う英語系植民者が大勢カナダに逃れてきて、彼らは主に ノバスコシアとニューブランズウィック、そして五大湖周辺に住みついた。後、人口の増加に伴って、 1791年、アッパー・カナダ(現在のオンタリオ州)とローワー・カナダ(同ケベック州)が創設され、 それぞれ代議・統治制度をもつことが認められた。

1837年から38年にかけて、両カナダで幾度か起こった反乱の後、ダラム卿は英国議会に ふたつのカナダをひとつに統合することを勧告し、カナダ連合法が成立した。1848年、 合併されたカナダは、外交権を除いて、自らの責任政府をもつことが認められた。 こうしてカナダは自治権を更に一歩進めたが、まだイギリス帝国に留まっていた。

北米の英領植民地 - カナダ、ノバスコシア、ニューブランズウィック、プリンス・エドワード・アイランド、 ニューファンドランド - はそれぞれ、成長し繁栄した。しかし南北戦争後、アメリカ合衆国が強国として 登場してくると、米国による合併の危険を避けるには、英領植民地が統合するしかないと考える人々 がでてきた。1867年7月1日、カナダ・イースト、カナダ・ウエスト、ノバスコシア、ニューブランズウィック の各植民地が「英領北アメリカ法」の下に統一され、連邦国家、自治領カナダが誕生したのだった。 この日がカナダの独立記念日で、いわゆるカナダ・デイなのである。

その後1926年、英国帝国議会はカナダの完全自治を認めた。1931年(昭和6年)には、 英連邦を構成する主権国家として法制化され、1949年(昭和24年)カナダ憲法が制定され、 1951年(昭和26年)国名をカナダ自治領から「カナダ」に変更した。

現在の政体は立憲君主制で公式にはイギリス王(女王エリザベス2世)が国家元首となるのだが、 実際にはカナダ総督(エイドリアン・クラークソン - Adrienne Clarkson)を置いて王の代行を務める ことになっている。が、これはあくまでも形式的なもので、実質的な首長は総選挙によって 選出される連邦政府の首相、ポール・マーティンである。

このカナダ総督、Adrienne Clarksonの存在は、日本で育った私にとってとても面白いと思った。 この前のカナダで選挙が行われている時に、新聞でポールマーティン率いる新政府の写真が 掲載されていたのだが、中心に、アジア系の女性がいて誰だか分からないので相方に聞いたら、 カナダのガバナー(Governor General of Canada)だと言う。そう、彼女が国王(女王エリザベス2世)を 代行するカナダの総督だった。彼女は第26代カナダ総督でカナダの女性総督としては2人目、そして 白人系以外(中国系カナダ人)としては初めての総督だそうだ。 彼女は香港生まれ。 クラークソンは William と Ethel Poy (伍英才) の娘だそうだ。 父親が英国人(British Subject)だったため、太平洋戦争で香港が日本軍に占領された時に、 "special circumstances" statusを使用して、1942年難民として家族でカナダ・オンタリオ州に 移住することが出来た。彼女はフランス語と英語が堪能だが、中国語はそれほど話せないとの事。 中国系カナダ人は、同じ中国系として彼女がカナダの総督になったことに誇りを持っているが、 方や一方では、同じ同胞であるのに、同胞に対してあまり努力をしてくれない事に不満を感じている 人もいるそうだ。最近聞くラジオでは、彼女の総督と言うポジションが多額の国民の税金を支払って までも、本当に必要なものなのかどうなのか、と言う議論が交わされている。
エイドリアン・クラークソンの詳細は以下のURLからどうぞ。
(日本語 http://ja.wikipedia.org/wiki/アドリエンヌ・クラークソン
(英語+写真付き http://www.nationmaster.com/encyclopedia/Adrienne-Clarkson

カナダの20ドル紙幣から、カナダの国の歴史に至ってしまった・・・、長かった・・・。それにしても、 カナダ、面白い国である。

参考文献:
http://www.canadanet.or.jp/about/history.shtml
http://ja.wikipedia.org/wiki/カナダ
http://www.tradition-net.co.jp/door/door_money/main_cad.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~cn2k-oosg/cmwlth03.html
http://www.fujiwaragakuen.com/index.html
http://www.ohsaka.com/history/vol3.htm

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